他人の得は自分の損?
何かを始めるときや何かを止めるときは、その恩恵に与る人(与っていた人)とそうでない人が必ず出てきます。
例えば新たな人事制度を始めるとき。
評価システムを成果主義に変えるとした場合、「成果が見えにくい職種」の人達は正当に評価されない、と感じるかもしれません。
また、昨日書いたキッズウィークのような制度も同様です。独身の方たちは恩恵に与ることができないのでは、と感じると思います。
このように、特定の事柄に対して全員が平等な影響を受けるということは滅多になく、全員を平等にしようとしても大変難しいものなのです。
損得は相対的ではない
これに対して、「何であいつだけいい思いしてるんだよ!恩恵を受けられない我々は損じゃないか!」と言う人がいるのです。
冷静に考えれば、全く損はしていなく、現状は何も変わっていないはずです。
しかし、そう捉えることができず、ただひたすら「損」と感じてしまうようです。
確かに相対的に考えると、得する人が出てくればその分、損する人が出てきそうな気もしますが、制度は相対的なことを別に考えているわけではなく、何かを上げたら何かを下げようなんてことは考えていません。
※厳密にいえば、コスト的な意味でそのバランスを考慮することはあります。
じゃあどうして損得を考えてしまうのか
これってもう気持ち的な問題ではないかと思います。
セブンイレブンで700円クジをやっているのご存じでしょうか?総計700円以上の買い物をすると、クジを引けて、あたりが出ればお菓子やドリンク類等がもらえるというやつです。
私はコンビニの中ではセブンイレブンの利用率が圧倒的に高く、700円クジを何枚も引いてきたのですが、前に並んでいる人が当たりを引いて、そのあとの自分がハズレだったら、なんとなく悔しい想いをします。あの人は当たりだったのに・・・と。
通常はクジを引くことができず、完全に+@のキャンペーンで、別途お金を払ってクジを引いたわけではないので、誰も損はしていないはずです。(強いていうなら、お店は損してるのか?)
なんとなくこの気持ちに近いような気がします。
どうせなら得をして良い想いをしたい!と。
正直、自分自身にもかなり当てはまってしまうのですが、心の狭さがこんな感情を生み出してしまうのでしょうか・・・
会社でも何らかの規則や制度を構築する場面は多々あるのですが、その度に「どうして私たちには何もないの?不公平じゃないか!損した気分だ!」と言われます。冗談口調ではなく、割と本気で。(ごく一部の、限った人ではありますが)
不公平という部分は特に我々は注意しないといけない点なので、最大限に配慮したものをつくろうとは心がけています。できるだけ、みんな平等になるようにと。
しかし、どうしても制度を作り始めた瞬間や移行期はこういったことが起こってしまうと理解していただきたいです。
もちろん、長い目でそれぞれの人はできるだけ良い影響を受けられるものを作っていこうとは思っています。
我々としては、できるだけ全従業員ができるだけ恩恵を受けられるように心がけたいです。(そのためには経営と戦わねば・・・!)
そういえば「他人の不幸は蜜の味」という言葉がありますが、この逆バージョンですね。
「他人の幸福は毒の味」とか(笑)